きょうのクロスステッチ
【きょうのクロスステッチ Vol. 529】 by 岡村恭子
VOL.529 1964年秋
私の東京オリンピック体験記
søndag den. 12 juli 2020
週一回、このページに文章を書くようになってからと言うもの、
書き終わったそばから、次はどんなことを書こうかなあ…と
考えるようになりました。自分なりに話題がある時は良いのですが、
時々、考え込んでしまう。昨日もそんな感じで、取り止めなく
カレンダーを眺めていて、本当なら東京オリンピック間近で
列島が盛り上がっていた頃だったんだ、ということに気づきました。
7月23日の開会式から2週間、猛暑の東京開催とあって、
当初から暑さ対策が大きな課題になっていましたが、それも
今となってはほんの些細な問題に感じられるくらい、
もっと大変な世の中になってしまいました。
目に見えない新型ウィルスが世界中を巻き込んでしまい、
解決の糸口さえ見つからずにいる現状を鑑みれば、
中止になって良かった…という安堵の気持ちの方がずっと大きい。
どう考えても無理だった。これは神様の采配かもしれない。
「もしも…」と考えるのは禁物とは言うものの、
もしも、もっと間近になってからコロナ騒動が持ち上がっていたら、
それこそ取り返しのつかないことになっていただろうと、
これは誰しも思っている事だと思います。
1964年。私は中学生でした。
その年の10月、東京オリンピックが開催されて、
10月10日の開会式の模様を家族揃ってワクワクしながら見たのを
覚えています。世界中から一流のスポーツ選手が集う一大イベントに
列島が湧き上がり、思えばあの時から「おもてなし」精神が発揮されていた
のかもしれません。
何故なら、私の通っていた学校近くのグラウンドで、サッカーの予選試合が
行われることになり、オリンピッ期間中、全校生徒が順番に試合の応援に
行くことになったのです。
私たちの学年はモロッコvsユーゴスラビア戦でした。
当時、スポーツといえば野球か相撲、という時代にサッカーを知る人など
周辺におらず、女子校だったこともあって誰一人ルールさえ知らなかった。
そんな時代でした。
とにかく観客動員すべし(=当時のおもてなし?)という上からの通達だった
に違いありません。
向かい側のスタンドには真っ黒い制服の男子校生徒が陣取っています。
…、ちょっと想像してみてください。
紺のセーラー服と黒い学ランの生徒で埋まった観客席を。そして、
どちらの国を応援するでもなく、お行儀良く静かに観戦する若い集団を!
プレーしていた選手たちはさぞかし不気味に思ったことでしょう。
やりにくかったことでしょう。盛り上がらなかったことでしょう。
後年、サッカーが盛んになってから、ユーゴスラビア(現クロアチア、
スロバキアなど)は世界ランキング上位のサッカー大国だと知り、
そうと知っていたら、応援の仕方もあったろうに、と残念に思いましたが、
ただ、一つだけ、取り柄と言えるかどうか…。
試合終了後、私は仲良しと一緒にグランド近くに駆け下りて、
持っていたプログラムの表紙にサインをしてもらいました。
右側からスラスラと不思議なスペルで走り書きし、
笑顔で握手もしてくれました。
遠い思い出が何かのきっかけでセピア色の世界から
カラーになって浮かび上がってくる時がある。
「私の東京オリンピック」が、にわかに蘇った週末でした。
岡村 恭子
http://copenhagensmile.weebly.com/
オランダに移住する娘の友達を囲んでのパーティー。
友を送る歌を可愛らしくアレンジ、皆で合唱♪
笑いと涙、そして楽しいひと時と美味しいケーキ!?
1964年東京オリンピックの記念グッズ、
サインしてもらったプログラムとチケット。
亀倉雄策デザインのポスターやワッペン、記念切手。
「私の宝箱」には他にも思い出の品でいっぱいです。